▼起業家File.058 伊佐拓哲さん J-Workout株式会社 代表取締役社長


 

日本初の脊髄損傷者専門トレーニングジム‼  11/20「KNOW NO LIMIT2016」

1982年東京両国育ち。子供の頃から大のスポーツ好き、東海大学経営工学部進学後もバイトで鍛えたアスリート級の身体に。ところが競技挑戦中に不慮の大事故で脊髄を損傷、1年間休学し手術&リハビリ生活。米国式メソッドProject Walkとの奇跡の出会いをキッカケに2年間サンディエゴでリハビリ修行へ。そして2007年日本初の脊髄損傷者専門トレーニングジムJ-Workout㈱を渡辺淳氏(中学旧友)など仲間と共同創業。ジムを順調に拡大していた’10年に渡辺代表がマラソン中に突然の心臓発作により他界。そして’14年代表就任、現在の木場へ増床移転、大阪スタジオOPEN、スタッフ40名へ増員、リオパラリンピックにもトレーナー派遣するまでに充実成長中。


▲スポーツを楽しんだ大学1年生。
▲スポーツを楽しんだ大学1年生。

●幼少~大学時代―

剣道、バレーボール、相撲、スキー&スノボ、とにかくスポーツが大好き‼
中学で渡辺淳君との運命的な出会い、高校では同じ相撲部仲間に…。

 

1982年に東京板橋で生まれ、すぐに両国へ引越し。沖縄出身の両親は不慣れな東京で独立し、ゲームソフト製作や通信機器製造メーカーを設立、ゲーム開発のトレンドに乗り一時は社員数も結構多かったのを覚えています。家族は両親と妹と一回り違う弟の5人でとても明るく賑やかな家庭でした。
5才から剣道を始め、小学校では少年野球、中学時代はバレーボールなど、とにかくスポーツが好きでやんちゃな少年でした。勉強は人並みでしたが、両親とも話し合い中学は私立受験を希望、子供ながらに生活の環境を変え広い視野を持ちたい‼と願っていました。そして小学6年時には塾通いで勉強して、地元ではありますが私立安田学園中学に合格。

案の定、色々なタイプの友達が増え、新鮮な環境がとても嬉しくなりました。部活はバレーボール部に入部、上の安田学園高校は春高バレーでも全国大会常連校でしたので、練習はかなり厳しかったです。また中一の同じクラスでは渡辺淳君(後に事業パートナーになる)との運命的な出会いもありました。部活以外ではカラオケ遊びにも没頭していました(笑。エスカレータ式に入学した高校では、相撲のプロになるのが夢の渡辺君の誘いもあり、私自身も地元両国の”わんぱく相撲”で親しみを持っていたため相撲部へ入部。渡辺君は先天性の脊髄の病気から中学時代は車椅子など欠席がちな生活を余儀なくされていましたが、自分で筋トレ等で鍛え努力して、高校入学の頃には運動ができるほどに復活していたのです。この時は病気のハンディを克服した渡辺君は心からリスペクトする存在でした。全国でも相撲部のある高校は多くなく、安田学園高校は全国屈指の強豪校に名を連ねていて、私も3年時には関東大会(個人軽量級)で3位になるまでに。

そして渡辺君は卒業後教員になるための夢を抱いてアメリカの大学へ留学。私は、父のエンジニアDNAの影響もあり経営工学部のある東海大学を受験し合格。神奈川県の伊勢原に校舎があり、往復5時間でしたが両国から毎日通いました。平日は授業、土日は引越しバイトで身体を鍛え、長期の休みはスキーやスノボ合宿という典型的な大学生活をエンジョイしていました。


▲米国サンディエゴのProject WALK
▲米国サンディエゴのProject WALK

●不慮の事故、リハビリ生活時代

不慮の大事故‼首の手術、脊髄損傷で車椅子生活に。

将来への不安が募るも、一筋の光…しかも親友渡辺氏のいる米国‼

 

アスリート級に鍛えた身体は持て余すほどに成長、大学3年(2002年5月)で、たまたまアスレチックコースを競う競技に出場した時のことです。直径2m重さ50kgの大玉の受け止めに失敗し…ドスン!。私は吹っ飛び、スタッフや仲間が回りを取り囲む…。最初は下半身に力が入らず「ギックリ腰」やってしまったという感覚…、多少気持ちが動転する程度。しかし救急搬送される時になっても、下半身の感覚が戻らないので、もしかしたら…とコトの重大さが徐々に判ってきました。精密検査の結果、頚椎は骨折しており手術が必要、そして脊髄の5番と6番がダメージを受けていて今後は車椅子生活を余儀なくされる…と。この時はショックでした、健康で色々なスポーツを楽しんでいた自分の姿が走馬灯のように頭を駆け巡りました。

首の手術は母校の東海大学病院で受けました。運悪く肺炎も併発して2ケ月間の昏睡状態に…。目が覚めると腕は細くなり体力もかなり落ちていました。その後箱根の療養所で1年弱のリハビリ生活から退院できたのが’03年7月でした。事故直後に大学生活はもう諦めようと思っていましたが、両親の奨めもあり休学扱いになっていたので、秋から復学。その直前に気分転換に妹と友人の3人で、米国サンディエゴ旅行に出掛けました。サンディエゴには、旧友の渡辺淳君が留学していて、まもなく卒業して彼が帰国してしまう前に訪問してみたいと、退院後の旅行先は必ずココにと決めていたのです。現地で渡辺君と合流し元気な姿を見せ、米国のバリアフリーで自由の多い環境を満喫し、大きな勇気をもらって帰国しました。

帰国後は実家からの通学は困難なため厚木のマンションを借りて暮らすことに。母や妹が交代でサポートしてくれたお陰で物理的にはスムースな生活環境で過ごすことができましたが、脊髄損傷の医療機関のリハビリの目的は社会復帰で、機能の回復という発想は全くなく、「将来は回復したい」という希望が見い出せない状況で、精神的なイライラ感が募っていた時のこと…。何か明るい情報求めて脊髄損傷の家族会のセミナーに積極的に参加していた時、あるアメリカ人の講師の方が「米国には民間の脊髄損傷専門のトレーニング施設があるよ」と紹介してくれました。そして詳細を質問してみると、なんとあの渡辺淳君が住んでいるサンディエゴにある「Project WALK」でした。もう嬉しくて興奮し、矢も楯もたまらずたまらず、時差もナニも関係なく彼に連絡して情報を調べてもらったのです。渡辺君とは旅行中も将来のことなどお互いに話をしました。彼も中学時代に持病発症後の車椅子生活から脱却したという共通点もあり、私の気持ちをすぐに察して即座にリサーチしてくれました。

 


▲米国でトレーニングする伊佐氏とトレーナー渡辺氏
▲米国でトレーニングする伊佐氏とトレーナー渡辺氏

●起業のキッカケ、決断―

米Projct WALK社、私達の理想のトレーニング施設。

スケールの大きさと専門医学に基づいた指導方法に圧倒‼

 

そこから渡辺君との情報交換は毎日のように続き、’04年夏休みに3週間の体験トレーニングに参加することが決定、私の英語力は乏いので渡辺君も通訳として一緒に参加してくれることになりました。そしてワクワクな気分で現地へ行くと、1200坪の広いカッコイイ体育館に専門的なトレーニング機械がズラリと並ぶスケールの大きさにビックリ。そして自分と同じような障害のある方がバリバリトレーニングしている姿にただただ感動し言葉にならなかった事を覚えております。3週間のメニューはとても科学的で医学の知識を持った専門トレーナーが細かく説明してくれ、トレーニングは負荷限界のギリギリまでのそれは厳しいものでした。

この体験を通じて、私よりも渡辺君が発奮し、こんな施設が「日本にないなら一緒に作っちゃおう」と言うことになり、そのためには技術を学ぶために入社するしかないという結論に達しました。そして彼は大学卒業後半年間体育学部の必要な単位を追加取得して、半年後にはProject Walk社にトレーナーとして入社したのです。彼は教員になるという夢を、自身も体験した脊髄損傷者の再起の世界を支援したいという新たな挑戦に変えました。彼の入社後私は改めて渡米し、私たちはトレーナーとクライアントとして共同生活をスタートさせました。

 

この頃の私達は、どこまで学べば異国の地でたった一人のトレーナーで続けていけるのか、どうすれば日本人に適したトレーニングになるか、どうすれば日本人に受け入れられるトレーニングになるか、日本に出すとしたらどんな施設にするのか…、など将来の夢を語り合い毎日充実した日々を過ごしていました。このことは懐かしい思い出であると同時に今の私のエネルギーの源泉になっています。そんな状況の中、米国Projct Walk社に日本人トレーナーがいるという噂が日本にも広まり、共同生活していた家には日本からのクライアントや介助者が徐々に増え10名に。そこには現在大阪スタジオ代表の谷野雅紀氏やクライアントの方々との新しい出会いもあり、みんな日本に同じような施設ができることを夢みながら、厳しいトレーニングをこなしていました。そして約2年の米国生活を経て遂に、渡辺淳君が「スペシャリストⅡ」というトレーナー育成できる資格レベルを取得し、Projct Walk社から米国以外で初めて「のれん分け」の許可が出たのです。

そして’07年3月J-Workout株式会社を共同創業、代表は有資格者の渡辺淳君で私も株主兼役員に。しかし日本のリハビリの常識を変える‼と意気込んではいたものの、医療やリハビリの世界との壁は大きな隔たりがありました。でもトレーニングというサービスを必要とするクライアントが少数ながらもいることを糧にして地道に活動を続けていると、協力者も徐々に増えてゆきました。当初は専用ジムもなく公共施設の片隅を借りながらのスタート。そして厚木市の市議会議員の方の紹介で福祉施設の10畳ほどの会議室をお借りするとが出来て、第一号ジムをOPENしたのが同年6月。9月には近くの物件(80㎡)へ第2号スタジオとして増床移転することができ、クライアントも次第に増えてゆきました。


●起業後のエピソード―

渡辺淳代表が突然死…、そして私が代表に就任。
今年の「KNOW NO LIMIT」は11月20日開催予定‼

 

米国Project WALK社に習って、日本でも2007年から脊髄損傷者による歩行披露イベント「KNOW NO LIMIT(回復に限界はない‼)」をスタート。二度と歩くことはできないと宣告されながら、努力を続け歩行を取り戻した脊髄損傷の方々が歩行を披露します。医療世界では医療費削減が原因で十分にリハビリテーションを受けられない現状に対して、脊髄損傷者の社会復帰にどれほど長期的なリハビリテーションが必要であるかを強く訴え続けるイベントです。

▲今年で10回目を迎える「KNOW NO LIMIT」
 2015年の動画ダイジェストです。


過去の大会では、あの国枝慎吾選手が17年ぶりに歩いたり、富士山登頂に挑戦して成功したり、参加者同士の感動と共感の渦が巻き起こり、まさに「回復に限界はない‼」ということを体感してきました。今年は10回記念の節目でもあり、【過去 / 現在 / 未来】をテーマに今までの「KNOW NO LIMIT」を振り返りつつ、現在から未来へと繋がる可能性を表現します。今回は8名の歩行披露を予定していますので、一人でも多くの方々の応援観戦をお願いいたします。
11月20日「KNOW NO LIMIT」イベント詳細 

「KNOW NO LIMIT」過去のダイジェスト動画


このイベントも渡辺淳代表の時代から積み重ねてきたものですが、2010年11月第4回開催直後、彼は自ら初マラソンに挑戦し、走行途中に転倒し心筋梗塞で亡くなりました。スタッフやクライアント、そして私自身も突然の出来事に呆然として暫く会社は、船頭を失った船のような状態が続きました。中学時代からお互いにリスペクトし合う旧友であり、事業パートナーとして約7年間の活動の歴史を埋めるには時間も掛かりました…。そして2014年7月私自身が代表に就任。長年のトレーニングの成果も表れて体力的な自信も付いてきたとこもありますが、創設者渡辺淳というカリスマを失いながらも、その強い遺志を継ぐトレーナーと彼らを信じてついて来て下さるクライアント様に支えられ、その300人近いクライアントの方々の希望の場(J-Workout)を私が守らねばならい‼というミッションに強く駆り立てられたからです。

 


●J-Workoutの写真ギャラリー(画像クリックすると拡大します)


●今後の夢、目標‼

 国内で圧倒的なオンリーワンのビジネスモデルへ‼
 再生医療に大きな期待‼「脊髄損傷の完治」はもはや夢ではない。

 

今でこそ車いすでも使えるトレーニング施設は国内に少しずつ増えてきていますが、民間企業で脊髄損傷者に特化したトレーニングプログラムを提供できるのはJ-Workoutがオンリーワンと自負しております。私達の一番の強みである「当事者としての目線」と「米国ProjectWALKのトレーニングノウハウ」を経営に活かしながら、熱い想いのトレーナーと共に後世までJ-Workoutという名前を残していけるよう邁進する所存です。

現在東京大阪のスタッフは40名(うちトレーナー17名)となりました。当面の目標はトレーナーを出来るだけ多く育成することです。2020東京パラリンピックに向けて障がいをもつアスリート養成が進みつつありますが、そのアスリートを指導する「コメディカル(医学的な専門知識をもつ)アスレチックトレーナー」が、社会から必要とされる時代になっていますので、スタッフ一丸となって取り組んでいます。

また脊髄損傷者にとって、明るい兆しが見えてきました。「IPS細胞等による再生医療分野の急速な進化」です。脊髄損傷が完治することも遠い夢ではなくなりワクワクな未来が待っています。医学の分野で治療が進んでも機能回復という分野で私達の出番となりそうです。最近では高度医療の大学との様々な連携会合にも積極的に参加できる立場となり、大きな期待を持っています。そう遠くない将来に「脊髄損傷の完治」できる日がやってくると思うと、この仕事へのヤリガイと充実感を感じます。

長い文章をお読みいただき有難うございました。毎日地道に活動をしておりますので、木場近辺にお越しの際は、ぜひトレーニングジムへ見学にお立ち寄りください。


 
▼伊佐拓哲さんの座右の銘 
『海を泳いでいる最中に海の広さはわからない

ハンディを抱えていても、環境を変える勇気をもてば、新しい世界が見えてくる。「KNOW NO LIMIT(回復に限界はない‼)」 にも通じる言葉です。



〇J-Workoutホームページ  
 http://j-workout.com/
〇KNOW NO LIMITイベントページ 

 http://knownolimit.businesscatalyst.com/
〇国際せきずい損傷リハビリテーション協会
 http://re-sci.or.jp/
○伊佐拓哲さんFaceook個人アカウント
 https://www.facebook.com/isa.takunori



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