ラフィアバッグのエシカルビジネス、かぎ針一本でフィリピン女性の自立支援
1951年栃木県生まれ。女子美術短期大卒業後、イギリス・ギリシャへ語学留学に。帰国後、青山で輸入雑貨店「CAT HOUSE」をOPEN。猫グッズや輸入雑貨ブームに乗りマスコミでも話題に(25年間経営)。フィリピン・セブ島旅行中に民芸品のカゴと出会いフェアトレード事業構想へ発展、2年掛けてセブ島の女性にかぎ針での手編み技術指導を行い、品質安定化に成功。2011年11月㈱スルシィを設立し、原料確保と50名の編み子さんの体制を確立。国内主要都市の大手百貨店での販路も拡大中。今春から駐在スタッフも加わり、いよいよ本格稼働です。
●幼少~大学時代―
ピアノ、お習字、絵画、作文…幼少時代から手先が器用。
漠然としたデザイナー志望から「ニットデザイナー」へ!!
1951年栃木県矢板市生まれ。何もない田舎でしたので、学校から帰るとランドセルを放り投げて、鬼ごっこやかくれんぼ、おままごと…など、遊び道具はなくとも毎日野山で遊び呆けていました。そんな自然に恵まれた環境で育ったのですが、母は東京目黒出身で、当時の母の実家も東急東横沿線だったため、休みになると祖母の家に行き、よそ行きの洋服を東横(現東急東横店)で買ってもらったりと、東京の空気感もシッカリ味わっていたような気がします。
子供の頃、母や先生から「ノンビリ屋で手先が器用。分け隔てなく誰とでも仲良くでき、誰かに負けても悔しいとは思わない性格」とよく言われてました(笑。でも勝ち負けには拘らないのに、中学生の頃TBS主催の「こども音楽コンクール(ピアノ)」で入賞したり、英語弁論大会で優勝したり、お習字や絵画、作文など校内レベルでは、結構たくさん賞状を頂いたので、田舎の学校では目立つ子だったのかもしれません。
中学時代は勉強や部活には全く興味がなく、家でモノを作ったり、絵を書いたりすることが大好きでした。この頃既に、かぎ針でテーブルセンター、棒針でマフラーやセーターなどを独学で編めるようになっていました。高校は、進学校の宇都宮中央女子高へ。制服への憧れもありましたし、電車とバス通学を経験したかったことが理由です。素敵な沢山の友達にも恵まれ楽しい女の園の高校生活を満喫しました。大学は自然の成り行きで美大志望となり、当時は女子は短大が主流でしたので、迷わず女子美術大学の短大へ進学。
東京への憧れは特になかったのですが、親元を離れての一人暮らしは自由で最高でした。漠然とイメージしていたデザイナーへの夢が、徐々に服飾ではなく「ニットデザイナーになりたい!」と次第に明確になってきたのです。そこでクラスメイトと「bacu」というブランドを作り、自分たちでデザイン企画したセーターなどを原宿や青山のブティックで販売して貰ったり…。自分がデザインして作った商品がお店に並び、お客様にお買い上げ頂くことが、とても嬉しくて充実した毎日でした。
就職時期になってもその気はなく、ニットデザイナーになるには基礎的なことも学んでおいた方がいいかなと、卒業後にブランドを作った友人と一緒に文化服装学院のニッティング科へ入学。しかし授業以外の課題が多いばかりで、自分が学びたいこととはちょっと違う…と、だんだん学校へ行くのが億劫になり、1年で中退…。
●大学時代、海外、最初の起業
デザイン&英語留学のための渡英が、放浪の旅人に。
猫好きが高じて雑貨屋「CAT HOUSE」を青山にOPEN‼
中退して今後どうしようかと考えた時に、ニットデザイナーになる前に、パリやロンドンに行って海外のファッション現場を見ておいた方がいいのではないか、これからの時代は英語が喋れた方がいいのではないか、と思い海外なら友達がいるロンドンに行こうと決めたのです。そしてまず渡英資金を貯めようと、デザイン事務所で働く事に…。
約1年半後、念願叶ってロンドンでの生活が始まり、見るもの聞くもの何でも目新しくて、2年間デザインや英語を勉強しつつ、本当に生活をエンジョイしました。この時の経験が、どこの国でも生きていけて、どこの国の人にも先入観なく誰とでも友だちになれる術を身に付けたように思います。滞在中に欧州各国を旅しましたが、中でも特にギリシャが凄く気に入ってしまったのです。そしてまた衝動的に「ギリシャに住みた~い…!」と(笑。
ロンドンから一度帰国して今度は実家に腰を据え、母の会社で毎日しっかり事務的な仕事をし資金を貯めてから、いざギリシャへ。ギリシャ語の学校に通いながら、住み続ける方法を探しました。ビザ延長のため数か月に一度はエジプトやイタリアに行ったり、アテネでお店を持つことも模索しましたが、結局良い方法がなく1年で帰国。
この時30歳、そろそろ地に足を付けて働かねばと思い、東京で外国の専門書を輸入する会社に就職。しかしこの会社で働く楽しみは見い出せず、「自分でお店をやりたい!」という夢が膨らみ、大好きな猫をモティーフにした猫グッズを、会社勤めの傍ら海外から商品サンプルを買い集めることを始めました。そして84年6月、青山に「CAT HOUSE」という輸入もの猫グッズを扱うお店をオープン。猫好きは予想以上に多く、また青山界隈で雑貨屋さんブームのパイオニア的存在となり、雑誌やテレビなどで度々紹介されました。
オシャレで可愛い猫グッズなら「CAT HOUSE」と、知る人ぞ知るお店になり、結局25年もの間続けることに…。こんなに長くお店を経営するとは思っても見なかったのですが、店頭販売と卸売り、そして後半はネット販売が加わり経営は順調でした。CAT HOUSEでしか扱っていない商品がほとんどでしたので、常連さんも増え卸先も全国に拡がりました。
●廃業、再起業のキッカケ―
新しことをするなら今しかない‼ 閉店を決めたのは突然に…。
フィリピン旅行中に見つけたバッグからフェアトレードを発想‼
毎年仕入れのために第二の故郷のロンドンへは必ず行きました。25年もの間には何回か辞めて他のことをしたいと思ったこともありますが、「他の仕事ってあなたに何ができるの?」と自問自答しても答えは出ず、もう少し続ようと思い直し仕事を続けていました。しかしある日、「やっぱり辞めよう! CAT HOUSEでやるべきことはやりつくした。いい時の今お店を閉めよう‼」と突然思いたったのです。「その先やりたいことも決まってないのに、新しいことをやるのなら60才前の今かも」と、お店を閉めることに何の迷いもなかったのが不思議でした。やっぱり、辞め時だったのかもしれません。
そして閉店セールや残務整理も済み、自分へのご褒美旅行ということで、2010年初めてフィリピンのセブ島へ。人生のリフレッシュをするために、ゆったり贅沢なホリディを楽しみました。そんな時セブ島のお土産屋さんで見つけたカゴ。大中小の3個セットの入れ子になったカゴの値段を見て「シッカリ作ってあるのに安く、作っている人はいったいいくら貰っているのだろうか?」と、ふと疑問が湧いてきたのです。お土産屋さんの店頭に並ぶまでに何人もの手を経ているはずで、単純に考えても安い工賃で作っているのは察しがつきました。
東京に戻っても、お土産屋さんで見たカゴと安い賃金で働いているであろう女性たちの事が気になっていました。私が何かオシャレなものをデザインして、その商品をフィリピンの女性に作ってもらい、日本で販売したら、フィリピン女性の支援となり、彼女たちをもっと幸せにできるのではないか、と構想が膨らんできたのです。そしてマニラ麻やラフィアなど天然素材の糸を使用し、昔取った杵柄で「かぎ針で編んでバッグを作ろう!」それも「日本で売れるオシャレで可愛いくて品質がいいものを!」と、思い付いたのでした。
早速、ネットでリサーチして、商品を手作りで製作しているフィリピンのいくつかの団体に「自分がデザインしたバッグを作って頂きたい、指導もOK、その後注文も致します!」という内容のメールやファックスを送りました。しかし返事はゼロ。そこでフィリピンの日本大使館やマニラのジェトロなど、色々なところを当たっているうちに、ようやくフェアトレード関係の仕事をしている方と出会い、その方を介してセブ島とボホール島で編み物のトレーニングを始めることになりました。
●2度目の起業―
現地での研修開始から足掛け2年、ようやく品質が安定。
そして2度目の起業、大手百貨店等の販路も拡大中。
そこでは編み物を仕事にしたい方々に集まって頂き、かぎ針の持ち方から編み図の説明などの研修をスタート。しかし基礎からトレーニングを始めたものの、なかなかこちらの希望する品質のものが出来上がらず、商品レベルにならないのではないかと不安に思ったことも一度や二度ではありませんでした。
2、3ヶ月毎にフィリピンへ通い続け技術指導すること足掛け2年、ようやく品質が安定してきたので、2011年11月に日本で㈱スルシィを設立。社名の「スルシィ」は、古いセブ語で「編み物」のこと、広義で「ハンドメイド」という意味もあります。現地の方に3案考えて頂いて、編み子さんたちに圧倒的に人気のあったのがこの名前でした。そして最後に私が英文字で「Sulci」とスペリングしたのです。
そして翌年6月恵比寿三越でラフィアバッグのデビュー展を開催。その後春夏のシーズン毎に取扱店舗が増えて、今年は三越、東急、京王、西武、高島屋、そごう、阪急など東阪の有名百貨店で販売頂けることになりました。現在セブ島に常設のアトレ工房を借り、約50人の働きたくても働く場のなかった女性たちが、自信と誇りを持って一生懸命バッグを編んでいます。
●近況と今後の目標―
強力な現地駐在スタッフが加入し活躍しています。
夢はスルシィ世界展開‼一歩一歩進んで参ります‼
昨年秋プロボノ(各分野の専門家が、職業上持っている知識・スキルや経験を活かして社会貢献するボランティア)を募集した際に、応募してきたのが大月露さん(通称つゆちゃん)です。社会人1年生ではありましたが「フェアトレードへの考え方や自分のポリシーを持っている人」というのが彼女に対しての第一印象でした。
まだ若いですし仕事の実務を1年しか経験していないので、小言を言ったりもしますが、本当によくやってくれています。現在単身でセブ島に駐在して、在庫やお金の管理、営業、現地でのマネージメント全般を全力投球で遂行しています。現地のパートナーLucilと毎日英語で話しているせいか、英語の上達も早いようです。度胸もあり物怖じもしないので、1年後の成長が楽しみです。つゆちゃんが現地情報をスルシィ公式ブログで発信していますので、ご覧頂けたら幸いです。
昨年からBusiness Permit(ビジネス許可証)を申請しているのですが、許可が下りたら現地のリゾートホテルのショップへの営業や、旅行代理店とタイアップし現地スルシィ・アトリエ工房でのワークショップなどオプショナルツアーを企画し、現地でもバッグも販売しようと考えています。さらに欧米への販路を広げるため、スルシィバッグのデザイン・品質共に高評価を頂いているフィリピンDTI(Department of Trade and Industry 貿易産業省)推薦・応援のもと、2015年秋の現地ギフトショーに出展し、海外のバイヤーにスルシィ・ラフィアバッグをアピールすることも画策中。そして世界の有名ブランドのプラダやシャネルとのコラボで「ラフィア+革」のバッグ製作を提案し、フランスやイタリアのショップで販売したいと大層な夢を抱いています(汗。
また会社設立当初から、編み子さんの工賃の3%をスルシィファンド(Sulci Fund スルシィ基金)に積み立てていて、この基金で現地に図書館を建てる計画を進めています。女性支援ばかりでなく子供たちの教育の一助となり、夢を抱いてもらいたいのです。
長文をお読み頂き有難うございました。やりたいことは山ほどありますが、一歩一歩地道に進んでゆきたいと思いますので、応援頂けましたら幸いです。
▼関谷里美さんの座右の銘
「継続は力なり」
小さなことを積み重ねていけば、それが蓄積され必ず大きな力になる。
「必要とされることには、必ず道は開ける」
フィリピンの女性に編み物の指導をしていた最初のころ、なかなかこちらの望んでいるものが出来上がらず、先が全然見えず不安に思った時に、「必要とされることには、必ず道は開ける」と自分に言い聞かせた言葉です。現地の女性たちが自分を必要としてくれ、編み物の技術を身に付けてお金を得たいと思っているのであれば「絶対良い商品が作れるようになる!」と信じていました。
〇スルシィ(Sulci)ホームページ http://www.sulci.co.jp/
〇SulciFBページ https://www.facebook.com/SulciBag
〇公式ブログ : http://sulci.blog.so-net.ne.jp/
〇関谷里美FB個人ID https://www.facebook.com/profile.php?id=100004212150072
(関谷里美著書)
▶「猫のベンジャミンのイギリスだより
(2006年集英社)」
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