(プロフィール) NPO法人シニア大樂 理事長 講師紹介センター 事務局長
1940年兵庫県西脇市生まれ。関西学院大学商学部時代は、広告研究会幹事長として関西学生広告研究会連盟の創設に奔走。卒業後は大手広告代理店㈱大広(大阪本社)に就職、名古屋勤務を経て東京勤務へ。マーケティング局、営業局で大手企業の大型キャンペーン担当、ラジオテレビ局のラジオ営業部長、営業局長として官公庁担当で政府広報などを歴任。定年後は系列会社の取締役営業局長に就任したが途中退社、10名の仲間と起業し、元気な高齢者の社会参加を支援するNPO法人シニア大樂(だいがく)を設立。講師紹介センターの事務局長として現在540名の講師をコーディネイトしている。またシニア向けの笑いと娯楽の講座も多数運営しており大盛況。
●幼少~学生時代ー
子供の頃からずっと新聞記者になるのが夢だったが・・・。
関西学生広告研究会連盟を創設、広告・マーケティングに出会う。
1940年兵庫県西脇市で5人兄弟の三男として出生。とにかく田舎暮らしでしたので、友達と相撲をとるくらいしか遊びはありませんでした。中高は新聞部の部室に入り浸りでした。と言うのも、当時「少年探偵団」という江戸川乱歩の小説が流行っていて、登場人物の新聞記者に憧れを抱いたのがキッカケで、新聞記者になることが夢でした。受験雑誌を定期購読していましたが、勉強のページより、専ら一口コントに熱中し、頻繁に応募して入選の常連でした(笑。
大学は東京に出るのが私の希望でしたが、家族の反対にあい県内の関西学院大学商学部に入学。ただ自宅からは通えないので、西宮で憧れの下宿生活が始まりました。すぐに新聞部に入部しましたが、学生運動の最中で思想的に大きな矛盾を感じ、すぐに退部しました。その後、広告研究会の創設に参画し、幹事長として組織づくりに務めました。既に関東の大学では学生広告研究会連盟が立ち上がっていたのですが、関西には無かったため、関西の各大学に呼び掛けて関西学生広告研究会連盟の創設に奔走し、成果を出しました。
ゼミの専攻は「広告学・マーケティング」で、当時としてはとても先進的な学問でした。卒論は「新製品の開発と市場導入マーケティング」を書き上げたことで、私のその後の人生を大きく左右する内容になりました。高校時代までは新聞記者に憧れていましたが、大学で広告学・マーケティングに接して、これからのコミュニケーションは全てマスメディアを駆使する広告業が中心になると確信を持ったのです。
既に新聞社の内定はもらっていましたが、その内定を断って、関西に本社のある大手広告代理店㈱大広への道を選択しました。新聞社の人事部に「広告代理店に決めました!」と、挨拶に行くと人事部の方々が「えっ、そんな時代になったのか?!」と絶句していたのを今でも覚えています。
●サラリーマン時代、起業のキッカケー
マーケティング、営業部門への移動で仕事が楽しくなった!!
官庁の仕事で「超高齢化社会の到来」に気づき、定年後の指針に。
関西で活躍するために、大阪に本社のある大手広告代理店を選んだのですが、入社と同時に名古屋勤務となってしまいました。私はコピーライター、CMライターからスタートしましたが、乱筆・悪筆のため、原稿をスポンサーに提出しても評価は低く、悔しい思いをすることもありました。
やがてマーケティング部に転属、東京進出の足掛かりとなりました。東京への転勤後は、アカウント・エグゼクティブ制のチームで仕事をするようになり、大手電機メーカーの担当として、キャンペーン戦略の企画立案、プレゼンなど、まさに水を得た魚のごとく毎晩徹夜で仕事に没頭した時期でした。その後、関西最大のスーパーチェーンの東京進出キャンペーン、酒造メーカーのワインキャンペーン、・・・などなどダイナミックでエキサイティングな仕事に夢中で取り組みました。
40歳の時、ラテ局のラジオ営業部長に就任。マイナーなメディアだったラジオCMの売上拡大という課題に挑戦しました。局の営業マンと知恵を絞りながらスポンサーに提案していく日々が続きました。その頃、全国各地でFM局の開局が相次ぎ、FMセットワークのスポンサー獲得にも課題でした。ラジオの営業で苦労したアイデア勝負の6年間は、その後の人生の大きな肥やしとなりました。
そしt40代後半で営業部門に返り咲き、官公庁担当になりました。中曽根内閣の時代、総理府広報室をはじめ中央官庁の高級官僚が相手先で、マーケティング手法を駆使した広報キャンペーンを提案し、これが高い評価を得て官庁の仕事が面白くなりました。その後、小渕内閣までの12年間、政府・官公庁広報に専念。そして定年を意識する55歳になった頃、殆どの省庁の政策が「超高齢化社会の到来」に備えていることに気づいて、「定年後は高齢社会に活躍できる仕事をしよう!!」という思いが強くなったのです。
その後高齢化社会の研究をはじめ、内閣府主管のシニアルネサンス財団に「シニアライフアドバイザー」なる資格制度があることを発見し、すぐに資格取得したのですが、この時の同期生数人が集まり、「高齢化社会に貢献できるボランティア研究会(飲み会?!)」を定期的に開くようになりました。
●起業の決断の瞬間、退職・起業ー
ハワイ大学での集中講座で衝撃的な言葉を受ける。
再就職先を中退、同志10名でNPO法人設立へ!!
その後シニアルネサンス財団主催のハワイ大学での「ジェロントロジー(老年学)」集中講座があり、研究会のメンバー10名で参加。定年直前でしたが、休暇をとって参加した甲斐あって大きな収穫がありました。南カルフォルニア大学デビット・ピーターソン博士の「シニアのボランティアは有償であるべきだ!!無償ほど無責任なものはない。少しでもお金を貰うとそこに責任が生まれる。有償にすればクオリティを高めようと努力するようになる・・・」という言葉に、一同強く心を打たれたのです。
高齢者はお荷物ではない。40年間その道一筋の貴重な経験があり、その経験と知識を社会に生かす方法はないものか・・・とメンバー一同で議論し、辿り着いたのが「講師紹介センター構想」でした。
60歳近くになった頃、系列会社の取締役営業局長としての再就職。定年後数年間は在籍が保証されるのですが、もはや単調な仕事は喜べなかったですね。「雇われる生き方より、雇われない生き方」を決断して、途中退社。
そしてシニアライフアドバイザーの資格取得者10名での組織作りを開始したのです。「元気なシニアの社会参加を支援する活動」を模索し、取り敢えず社会的な信用をつくろうと2004年NPO法人の認定を受けました。講師については、私が現役時代に2つの異業種交流会「3分間スピーチの会(新話会)」「自己啓発の会(月曜会)」の幹事をしており、それらに登壇した講師30名のリストが手元にありました。この講師リストを自治体の生涯学習の講師に活用できないか、自治体では講師探しに苦心している状況があったのです。
●起業後のエピソードー
全国紙の記事に問い合わせ殺到、講師リストが300名に。
「講習会」「公開講座」をはじめ次々と企画を開催。
●これからの夢・目標ー
高齢者の仕事だけでなく、笑いや娯楽のニーズにも応えたい。
プラス思考の元気なシニアライフを追求し続けます!!
10年目を迎えて、活動の幅も広がってきました。高齢者は仕事だけでなく、笑いや楽しいことも求めている。そのニーズに応えようと、様々な企画講座を提案しながら運営しています。「ユーモアスピーチの会」「ユーモア川柳サロン」「シニア演芸団・演多亭」「シニア発見・発明サロン」「シニア山岳カレッジ」「写真エッセイ教室」「小ばなし・落語サロン」など、いずれも多くの参加者で賑わっています。
笑うことは健康に良い、脳の活性化にも効果があると言われています。高齢者は、記憶・体力・気力など若い頃にできていたことが、思うようにならなくなります。そのギャップや弱点を笑い飛ばし、プラス思考で乗り越えようという取組みです。
個人的に私も古典落語にハマっています(笑。「三遊亭王笑」という名を頂戴し、15もの話ができるようになりなりました。6月には国立演芸場で1席演じる予定です。また日本笑い学会に入会、「笑い」についてのさまざまな研究を続けています。笑いの講師団として「笑いの健康学」「ビジネスにおける笑い効用」などの講演を各地で披露しています。またジョーク集団「ジョークサロン」同人として機関誌「伝笑鳩」にユーモア川柳句集<解体新笑シリーズ>も連載中。さらにユーも川柳講師として、巣鴨と三鷹でシニアを対象に「藤井敬三・ユーモア川柳教室」を毎月開講しています。
今後も新しいプロジェクトや共催プロジェクトに取り組み、NPO法人を進化させて参ります。ご興味のある方は、ぜひ一度参加してみてください。
●藤井敬三さんの座右の銘
「継続は力なり」
○尊敬する人:松下幸之助、エジソン ○最近感動した映画:「男はつらいよ」
○最近熱中していること:脳科学、古典落語 ○ほっとするひととき:入浴
○起業に役立った本:「大きく考えることの魔術」デビット・J・シュワルッツ
▼NPO法人シニア大樂 http://www.senior-daigaku.jp/
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