(プロフィール) ちゃのま保育園 経営者(墨田区横川 2014.10.27OPEN)
1980年奈良県高市郡生まれ。勉強好きな小中時代、高校からは勉強よりも、スポーツ・友達付き合いに目覚める。その後弁護士目指して立命館大学に進学するも夢諦めて、26才で行政書士資格取得。上京して債権整理事務所に初就職、半年後新事務所の立ち上げに関わり軌道に載せ経営に興味をもち始める。出産・育児から社会復帰(起業)を試みたが、(’14年2月)子供が待機児童に。一念発起して「保育園」を創ることを決断、合同会社はひぷぺぽ設立、10月にスピード開業。オープン後すぐに予約定員達成‼ 「ちゃのま保育園」「ソフリエ」「IQNOH」「ほいくる」…など、地域で支え合う新しいカタチの保育事業に取り組んでいる。
宮村柚衣さん、日テレ番組出演全国デビュー!!
▶2016年6月30日(木)日テレNEWS Every特集で、
宮村柚衣さんが「待機児童対策の切り札」として紹介されました。番組動画が公開さいていますのでご覧ください。
併せて放送直後、YahooニュースのTOPにも掲載され、大きな反響を呼んでいます。
●幼少~就職―
とにかく勉強することが大好きだった小中学校時代。
高校大学は、卓球、友達、恋愛、バイトなど多方面に…。
奈良県高市郡明日香村に生まれました。私は、友達や親戚の多い父母の長女として生まれたため、回りから超可愛がられ過ぎて、丸々太り敷居をハイハイで超えられないくらいだったようです。その「おじさんズ」や「おばさんズ」と飲み友達になった今、一緒に飲むと「お前が太ってるのはオレたちのせいや!」と言われます(笑。
中学校時代は、テストで高得点を取ることに快感を覚えてずっと勉強三昧の日々。放課後も塾に週3回以上通っていました。特に数学が大好きで高校進路は迷わず理数系を選択。そして県南の進学校・畝傍高校に進学、しかしそこには秀才ばかりが集まっていて、私はそれまで田舎で優等生気取りしていたことに大きなショックを受けました。そして高校入学と同時に部活(卓球)に全力投球したり、また友達と遊ぶことの楽しさに目覚めたことで全く勉強しなくなり、人生初の赤点を連発(苦笑。そして受かる大学もなくて1浪、地元の駿台予備校へ。たまたま当時のTV番組「7人の弁護士」を観て「予備校に通いながら弁護士になりたい」と漠然と思うようになり、立命館大学法学部に進学したのです。
初めて親元を離れて、憧れの京都での一人暮らしは開放感たっぷりの生活でした(笑。入学と同時に恋愛に目覚め、全く勉強せず単位落としまくりの日々。「就職?何それ。私は弁護士目指すんだ!でも、いきなり弁護士は難しそうだから司法書士目指そう!」と、本で読んだ知識で自分の方向性を決めました。
「自分の勉強代くらいは自分で稼ぐんだ!」とばかりに、塾講師・不動産屋事務・司法書士事務所などのバイトをするも、住んでるところが田舎だったので、親に買ってもらった車でバイトに通うという支離滅裂度MAXな生活を送っていました。結局大学3回生から卒業後2年間は司法書士試験に受からず仕舞でした。なんとか行政書士の資格は取得したものの気が付けば26歳、職歴無し。頭でっかち。「あっ、私ニートだわ」と気付く(苦笑。
●サラリーマン時代
26歳で上京した初就職先は、実はブラック事務所だった?!
新事務所立ち上げに合流して、経営する面白さを体験できた。
26歳になって「何でもいいから働こう!」と決め、持ってる資格を書き、ハローワークへGO!。たまたま東京の行政書士事務所が有資格者を全国から募集していることを知り応募。夜行バスで面接を受けに上京し即採用。「やったー‼これで家族や友達に合わせる顔が出来た!」と喜んで働き始めました。しかし、その事務所の仕事は行政書士業務ではなく、なぜか債務整理専門の仕事だったのです。そして、私が働き始めた週に先輩従業員が全員解雇され、突然一番の古株に・・・(汗。
「暴力・給料未払いがなければ3年間は働こう!」と、決めていたため一生懸命働くが、バンバン入ってはバンバン辞めていく社員、電話番号交換禁止指令、意味の分からない研修・・・。最終的に、社長に腕を掴まれて寒空の下に引っ張り出された半年目に退社を決意。社長が私を辞めさせてくれない事態になったので、労働基準監督署に何度も通って「社長から退社承諾」を勝ち取りました。
そんな時、同事務所におられた司法書士さんから債務整理事務所の立ち上げを手伝って欲しいとお誘い頂き、参画することにしました。ここでは従業員5人~10人債務整理事務所の法務事務・営業・サイト運営・人員確保などなんでもござれのスーパー事務局長を経験しました。特にネット集客については、取引先の社長さんたちに教えて頂き、インターネットやプロモーションの基本、システムのイロハを覚えたことが、後々の私の財産になっています。創業から暫くは顧客ゼロの状態が続きましたが、ほぼ半年で経営は軌道に乗りました。その後、事務所職員には無理のない働き方を徹底させ残業0、給与は競合他社の1.5倍、居心地の良い社内環境から離職率を限りなく0に近づけ4年間一生懸命働きました。
●起業のきっかけ、決断―
債権整理の新事務所を続けるうちに経営への興味が沸いてきた‼
子供が待機児童になったことで発奮、保育園を創ることに…。
新事務所で4年間債務整理業務を行ううちに、「いくら質の良い仕事をしてもリピーターが少ない」「電話対応が主で依頼者の顔が見えない」「マニュアル的な流れ作業になりがち」…こんな不満から「法律業務」より「経営」と言うものに興味が移ってゆきました。「よし!転職しよう!」と決め、司法書士さんに退社希望を伝えた1か月後に、なんと妊娠発覚!育児手当をもらい損ねる(泣。
結婚は事務所立ち上げ当初27歳に経験。『うちの娘と結婚したら苦労するけどええんか?』と、父親に確認されてもメゲない精神の旦那様を捕まえる(笑。切迫早産で2か月入院したり、2人目がいきなり出来たり、育児に追われた2年間を過し「2014年4月頃から起業するにしても経験が必要だから、そろそろ働こうか」と思い始める。働くなら福祉の仕事をしてみたいなぁと漠然と思うようになり、土曜日だけ開講される介護職員初任者研修を受講し「介護者初任者研修(旧ホームヘルパー2級)」の資格を取得しました。
’13年春『墨田区内に新しく100人定員の認可保育園1つと30人定員の認証保育園2つが2014年の春に開園するので待機児童問題は解消される見込みです』と区の保育担当者から言われていたので安心しきっていました。
がっ‼’14年2月に『保育の必要性はあるが定員不足のため不可』と突然通知され撃沈‼。落ち込む暇もなく、すぐに通える範囲の認証保育園や無認可保育園に電話しまくりました。
がっ‼すでに定員は一杯、どこも20人~30人の待機児童待ちの状態、「来年まで待てば入れるようになるのか?」「もし入れたとしても小学校に入ったら、また仕事との兼ね合いを考えないといけないの?」「うちの子達が入れたとしても、入れない子供達がもっといるんじゃないのか?」……。
「えっ!?これって、行政に期待して待ってるより自分で動いた方がイイやん!!」ということで、保育園を自分で創ることを決意してしまったのです(苦笑。
私自身、奈良の明日香村という田舎で育ち、小学校から帰ればおばあちゃんが茶の間に座って迎えてくれ、親戚や父の友達の「おじさんズ」が毎日誰かしら集まりお花見をしたり、お餅つきをしたり、お好み焼きをしたり、プールに行ったりと賑やかな環境でした。これから創る保育園は、地域のシニアの方が集う保育園にして子どもたちにも私と同じような環境で育って欲しい……これが「おちゃのま保育園」の原点のイメージです。
●起業のエピソード―
初めての起業は暗中模索、とにかく動きまくることからスタート‼
ステキな方々との出会いが私をより良い方向へ導いてくださった。
今年の2月に保育園を作ると決めてから、関係のありそうなイベントやセミナーなど、興味のある人にどんどん会い行きました。普通の主婦である私が起業するにあたり、圧倒的に情報や経験が足りないと思ったからです。主人の応援もあり夜の会合や土日のセミナーやイベントも参加することが出来たことはとても恵まれていたと思います。その過程で保育園づくりや私自身の成長に役立つ出会いが沢山ありました。
隅田区「子育てシンポジウム」での出来事。「保育園を創りたいので、協力してください‼」というチラシを配っていた時にお声を掛けてくださったのが、すみだkomachi代表・荘司美幸さんです。「あなたは地域に何をしてくれているの??」と一言。ガツーン‼と刺さりました。その後荘司さんのお陰で様々な地域活動に参加するようになり、自分の言いたいこと、やりたいことを言うだけではダメなんだ、地域に溶け込んだり貢献活動をしなくてはいけないんだ‼と強く思うようになりました。今では地域ボランティアとして様々な活動に参画させて頂き、少しでも地元のお役に立てることに感謝しています。
またある起業塾のメンターの方から「『ソフリエ』というものがあるよ。宮村さんのやりたいことと近いんじゃないかな?」と、ソフリエが掲載されている記事を教えてもらい突撃しました(笑。そしていきなりの電話にもかかわらず即協力して下さったのが古久保俊嗣さん(NPOエガリテ大手門代表)でした。ソフリエ講座やIQNOH講座のノウハウを惜しげも無く教えて頂きました。特にIQNOH講座は「ちゃのま保育園」の育脳あそびにも生かされており、今後も更にブラッシュアップを図りたいと画策しているところです。ただの主婦に対して真摯に向き合ってくださった御恩は忘れることができません。
そして起業塾で偶然同じグループになった相田麻実子さんとの出会いはとても衝撃的でした。彼女の作ったプレゼン用のスライドを見た瞬間、旋律が走ったのです。そのパワーポイントが美し過ぎて「この子だ!」と、勝手にパートナーに認定しました(笑。どんな職種であれ、起業するならまず、パートナーとなってくれる一流のデザイナーが必要だと考えていました。その時は建築科出身であるとか、大きな賞を取ったことがあるなどといった過去など知らず相田さんの感性に惚れ込み、保育園のトータルデザインを頼もう!と勝手に決めました。それから物件決定から開園までの3ヵ月、私の想いを受けて素晴らしい空間を創り出してくださいました。感謝‼
家入一真さんの会で偶然出会った松延健児さんや松延さんの主宰する「めびうすのWA」の方々には、多くの勇気とエネルギーを頂きました。めびうすに参加されている起業家さんは、社会の課題を解決するビジネスモデルを実践されていて、「世の中を元気にしたい‼」という意欲満々な方ばかりなのです。めびうすの勉強会や交流会に参加すると、めっちゃ元気モリモリで熱くなります(笑。
まだまだ「ちゃのま保育園」の開園に至るまでには、お世話になった方が沢山おられて語りつくせません。皆さまには本当に感謝致しております。ありがとうございました。
●近況と今後の目標―
「ちゃのま保育園」オープン直後、入園予約が定員いっぱいに‼
次なる作戦も準備中で、地元墨田区に喜ばれる事業を目指したい‼
10月27日OPEN‼保育士の先生、イケメン調理担当、地元の応援団など多くの方々に見守られて無事オープンできました(涙。当初は本当に園児さんが集まるのか心配でしたが、入園の予約が定員一杯となり一安心です。開園してみると、色々な課題も浮上してくるので大忙しの毎日ですが、子供たちの笑顔を見ていると「保育園を創って本当に良かった~!!」と実感しています。
お陰さまで、2015年4月に墨田区施設型小規模保育所A型へ移行し、想いだけで作った保育園の保育の充実と安定経営を実現し、私自身も園長から経営者として保育事業に関わるようになりました。
そして2015年10月『保育士の楽園プロジェクト』に取り組むことに…。具体的には2016年1月新しい働き方を創設し、楽しく生きる女性を真ん中に老若男女が集まる交流会『かわゆい会議』スタート。
https://m.facebook.com/kawayui.kaigi/
さらに2016年4月『日本ちゃのまProject』開始しました。
http://chanoma-project.jp
皆さま、墨田区を中心に応援の輪を拡げたいと思います。お気軽に参加してみてください。
▼宮村柚衣さんの座右の銘:平々凡々
いつも支えてくれている愛する家族との人生が一番大切だと思ってます。この幸せをいつまでも続けるために日々頑張るのみです。
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〇ちゃのま保育園HP http://www.chanoma-hoikuen.jp/
〇ちゃのま保育園FBページ https://www.facebook.com/hoikuen.chanoma
〇日本ちゃのまProject http://chanoma-project.jp
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