行政書士湯原玲奈法務事務所代表 マリッジデザイン株式会社代表取締役
1973年西宮市生まれ、東京育ち。絵画、歴史、英語、古典好き。大学卒業後ニュージーランドで日本文化教師、専門学校ツアー担当、BBCワールド営業職を経て、出産育児を機に専業主婦へ。女性が一生続けられる仕事をと行政書士の資格取得。’09年「行政書士湯原玲奈法務事務所」を独立開業し、現在は「就労VISA手続、離婚相談」に特化。地元大田区「一般社団法人おおた助っ人」に参画し理事に就任。
さらに離婚問題を少しでも減らすために「マリッジノート®」プログラムを開発し、’13年マリッジデザイン㈱を設立、その普及を目指す。2015年は「しあわせふうふ10年プロジェクト」で、笑顔溢れる健康夫婦のサポート活動を充実させたい。
●幼少~就職―
お絵描き、歴史、英語、古典など多趣味、多彩なアルバイト。
「インターンシッププログラムス」に応募し卒業後NZへ…。
1973年西宮市生まれ。3歳から東京へ移り小学校2年生までは目黒区碑文谷で育ち、その後は現在までずっと大田区在住です。子どもの頃から空想好きのお喋りな女の子で、母からは「夢見る夢子ちゃん」と言われていました。古いものや歴史のあるものを見たり聞いたり触ったりすることに大きな感動を覚えたり、絵を描くことも好きで、小6では交通安全ポスターの金賞受賞。色黒で細くて小さくずっとショートカットにしていたので男の子とよく間違えられました(笑。
中学時代は、チェッカーズが大好きな普通の女の子、毎日のように遅くまで恋愛話や趣味の話ばかりで…。高校では好きなハリウッド俳優の映画を字幕なしで観たい一心で、洋楽の歌詞を覚えたり、「百万人の英語」という月刊誌を購読してラジオ講座を聞くなど英語には沢山触れていたと思います。また歴史好きが高じて「源氏物語」など古典の世界には結構どっぷり浸かっていました。テストでは歴史が99点、数学が19点…好きな科目しか勉強しませんでしたね(苦笑。
武蔵大学人文学部日本文化学科に進学。テニスサークルに所属し、本当に楽しい大学生活を満喫していました。アルバイトも、スーパーのレジ打ち、百貨店のお中元お歳暮事務、塾の講師、家庭教師、イベントガール、選挙のうぐいす嬢…などなど本当に多くのことを経験しました。大学2年の頃、なんとなく将来のことを考えていた時に「インターンシッププログラムス」という仕組みを知りました。留学とは違い、選考試験を経て現地の小中学校に派遣され、日本文化を子供たちに教えるというプログラムです。高校の頃から「手に職をつけることの大切さ」を母からいつも言い聞かされていたこともあり、大学で「教職過程」も専攻していました。もともと英語が好き、日本文化が好き(卒論は「武士道論」)、そして子供たちに教えること…私にとって、またとない機会だと思い応募したのです。そして卒業後にインターンとして派遣されることを決め、就職活動は全くせずに大学卒業直後の4月に派遣先のニュージーランドの現地小学校へ渡航しました。
●社会人時代
いきなり海外でのホームステイ、孤独感からホームシックに…。
英語力を生かせる仕事に憧れ「専門学校」「衛星放送会社」へ‼
ニュージーランド派遣先は、北島にある人口1500人ほどの小さな町の小学校で、5歳から11歳の子供たちに日本文化を教える活動をしていました。最初はなかなか授業を任せてもらえず、ニュージーなまりの英語も聞き取れないし、住んいでる場所は隣の家も見えないほどのド田舎だし、一週間でホームシックになりました…(涙。そもそも一人暮らしをしたことがない私が、いきなり他人の、しかも外国人の家に居候(学校の生徒さんの家にホームステイ)なんてハードルが高すぎました。現在のようにインターネットも手軽な携帯もない時代ですから、日本語が恋しくて恋しくてたまらなかったのを覚えています。外国人が異国で暮らす大変さを身をもって知ったことは、今の仕事(外国人の在留ビザ取得が得意な行政書士)に繋がっています。
1997年、約一年間の滞在後、日本に帰らずに現地で就職することも考えましたが、家族や彼氏(現在の夫)たちが日本で首を長くして待っていたので帰国することに…。一年と言うのは意外にも浦島太郎になるには十分な期間で、何よりも回りの人が携帯電話を持っていて、外で話していることに衝撃を受けました(笑。帰国後は、第二新卒として初めての就職活動、英語力を生かせる仕事を探しました。
そして初めて就職した会社は「米国公認会計士(USCPA)の専門学校」、バイリンガルスタッフとしてUSCPA受験ツアー担当でした。当時日本人が受験できるのは、アラスカ・モンタナ・グアム・ハワイ…など限られた州で、私のツアー添乗は2回ともアラスカへ。極寒の地で受験生の緊急対応に備えて観光も外出もできず、一週間ほぼずっとホテルに缶詰めだった想い出が…。理想の就職と思っていたのに、社内の業務環境が悪くストレスで体調を崩し退職することに。
次の転職先は、英国ニュース専門チャンネル「BBCワールド」で、編成部を経て法人営業職へ。出張が多く、土地の美味しい食べ物を頂けることが何よりの楽しみでした。名古屋以南が担当だったため、関西方面は毎月、九州は年3回程度行きました。2000年沖縄サミットでは何度も沖縄に足を運び、すっかり沖縄ファンに。ただ男性中心の職場環境でしたので、男性営業マンと同等やそれ以上の成果を上げて認められたいと躍起になっていました。実際、成績は良かったのですが、営業先で女性として扱われることに嫌悪感を感じたり、小娘扱いされることが嫌で、かなりキツイ女でつっぱった20代だったと思います(苦笑。
●本格起業のきっかけ、決断―
愛娘の待機児童がキッカケで、退職し専業主婦に…。
一生続けれられ、自分も成長できる仕事が「行政書士」‼
夫とは大学2年生の頃からの知り合いで、もう20年以上一緒にいることになります。途中私がニュージーランドへ行ったりしましたが、2000年に結婚。結婚当初よりも現在の方が関係が良く、以前よりも今の方が夫のことが好きです。今年で15年目になりますが、やはり夫婦って10年以上経って、やっと本当の意味での夫婦になれるんだなあと実感しています。
出産後、娘が希望の保育園に入れなかったことがキッカケとなり、やむなく会社を退職し、数年間は子育て中心の専業主婦をすることになりました。人生では初めての「想定外のやむを得ない選択」でした。
しかし今思うとこの充電期間が、思考を巡らせ自分自身のキャリアを見つめ直す良い機会となりました。この頃の私は「妻」「母」以外の自分だけの「顔」がなくなってしまったことへの喪失感で一杯のダメ母だったと思います。娘は可愛くて宝物でしたが、心から100%母親業を楽しめず、何かしたくても何になったらいいか、これから何ができるかわからない。大学に入って勉強したり、海外で仕事をしたりしたことも全て一体何のためだったんだろう?私の人生はこれで終わってしまうのかと悶々とする毎日が続きました。
そして出産・育児を機に退職したことで、今後正社員として雇われて働くという方法は自分には向いていないと思い、何か自分でできないかと辿り着いた結論が「行政書士」という仕事でした。2度目の受験で資格取得、プライベートに多種多様な変化が起こる女性であっても、常に自分にあった働き方を選ぶことができ、一生成長していける仕事だと感じ、独立開業を決断したのです。
’09年「行政書士 湯原玲奈法務事務所」を開業。大田区出身メンバーで地元に恩返しをすべく、住みやすい街をめざし「大田区は大田区の専門家が笑顔にする!」を旗印に立ち上げた専門家集団「一般社団法人おおた助っ人」の理事も務めております。現在、おおた助っ人の活動では、行政の協力のもと「出口のみえる無料相談会」事業と、選ばれる5%の専門家をめざす勉強会「行列のできる専門家へのみち」事業を行っています。
●起業後のエピソード―
行政書士の仕事は得意分野「許認可、離婚相談」に特化‼
離婚問題解消のために発想したのが「マリッジノート®」。
行政書士開業当初は経験を積むために、とにかく仕事を選ばずにこなしてきましたが、時間を自己管理していく自営業の世界は非常に難しいことを実感しました。現在は「建設業、宅建業、外国人在留VISAの許認可申請」「離婚相談」などの得意分野に絞り、仕事とプライベートを同等に充実・優先させることを大切にしています。
そして離婚相談で、様々な離婚の場に直接関係したり、夫婦関係に悩む方々の相談を受けることが多く、「できれば離婚をせずに、幸せな結婚を続けるために必要なこと」をサポートしていきたい‼と考えるようになりまました。私に何かできることはないかと思いながら、ある塾に参加した時のことです。多量の宿題で自分の棚卸しと塾生同士の勉強会などを経て、フッと下りてきたのが「マリッジノート」という名称でした…そして次々と構想が湧いてきたのです。その想いを色々な方に伝えたところ、賛同者や協力者が現れ、早々に商標も登録し、法人化することになり、補助金を申請する…という感じでトントン拍子に事が運んで行きました。
そして’13年、マリッジデザイン株式会社設立。「マリッジノート®」を中心とした事業展開を行う会社ですが、そもそもこの事業自体、行政書士として独立開業しなければ誕生しなかったと思います。「マリッジノート」は、結婚前や記念日に作ったら終わり、というメモリアルノートではありません。一緒に歴史を刻む、気になることができたら話し合う…そんなコミュニケーションツールです。本当は自然に会話できることが一番なのですが、日々時間に追われると、まず一番身近な人との会話が無くなりがちです。いつでも会えるから、いつでも話ができるから…身近な相手との間ほど、「言った気」になっていることが多いと思いませんか?
物理的な時間についてだけではなく、人は「知ってるハズだ」「分かってくれているハズだ」と身近な相手に対しては期待をしてしまうものです。マリッジノートを夫婦の真ん中に置いて、2人の会話のキッカケと夫婦の未来設計図を作ってほしいと思います。
●近況と今後の目標―
「本物の夫婦」になるためのプロセスをお手伝いしたい‼
「しあわせふうふ10年プロジェクト」コミュニティが目標。
「マリッジノート®」はあくまでも私が発信したい「素敵な夫婦になるため」のツールの一つに過ぎません。いろんな方法で、日本の全てのカップルが「本物の夫婦」になるためのプロセスをお手伝いできたらいいなと思っています。
「いいふうふ」って人それぞれだと思います。色々なスタイルの「いいふうふ」に出会いたいですし、そういう方々が集まるコミュニティを作りたいと思っています。若いカップルが集い、結婚や出産、子育てなどの様々な不安が吹き飛ぶようなコミュニティを作って、「いいふうふ文化」を発信したいです。具体的には、私の想いに賛同してくださる、カフェやラウンジのような場所を探しています。現在は不定期に行っているセミナーやゲームなど、「しあわせふうふ10年プロジェクト」と題して「いいふうふ文化」を伝えるイベントを定期的に行えるようになることが今年の目標です。
「笑い」が健康にいいと言われるように、ココロの平安は活動のパフォーマンスを上げます。社会の最小単位である夫婦と言うコミュニティが「笑顔」に満ちるような日本になってほしいと思っています。
〇行政書士湯原玲奈法務事務所 http://www.reina-office.com/
〇マリッジデザイン株式会社 http://www.marriage-note.jp/
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